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ブログ - 仙台道場入り口の看板の写真

仙台道場入り口の看板の写真

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
仙台禅会 2017/11/23 20:12

杉山呼龍(仙台禅会担当師家)
 
この写真は、仙台道場(仙台市若林区南石切町)の入り口に張られた看板の写真である。
会員の松本秋草さんによって書かれたものである。
この俳句の作者 良寛(1758-1831)は江戸時代後期の人。
新潟の山奥で子供らと手毬をついて遊んだという逸話がよく知られ、
清貧、高雅な生涯を送った禅僧として有名である。良寛について書かれた本はたくさんあり、
この人物が禅僧、詩人としてたいそう魅力的な人であることを示している。
この句は良寛の辞世とされるもので、貞心尼の編んだ『はちすの露』の中にある。
これは、良寛が臨終に近いころ、貞心尼とのやりとりの歌の中にあり、
良寛が死の間際に当たって自己の心境を述べたものと解してよいだろう。
貞心尼は、この仏門に帰依した身にも良寛との生死のわかれは悲しいと表している。
 
生きしにの界はなれて住む身にも さらぬわかれのあるぞ悲しき
 
それに返して、良寛は
 
うらを見せおもてを見せて散るもみじ
 
と詠んだ。これはとりあえずのもので、自作ではないという。
蕉門の俳諧師、谷木因(たに・ぼくいん)の
「裏ちりつ表を散りつ紅葉かな」が本になっているという。
わたしの知っている、ある長く禅の修行をした人は初心者にこう言っていた、
この句は
 
「もみじのうわさをしているのではないのだよ。」
 
わたしもそう思う。わたしはこの句に大禅者の境涯を見るのである。
禅は、生死巌頭に際して大自在を得るものだといわれている。
死を目の前にしても、いささかも動じないような境涯。良寛はそのような境涯をもっていた。
それは、良寛だからできるのであろうか。良寛のような禅僧としての修行を積んだから
このような心境に至ることができたのであろうか。いやそうではない。
大乗仏教は僧侶だけのものではない。われわれ一般人のものだ。
「人間禅」ではその方法をはっきりと示している。
それには、毎日の坐禅を深めていけばよい。
また公案によって心境を錬磨していけばよい。
そうすれば、誰でも、このような境涯に到達できるのである。


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