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よくある質問 
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以下は掲載されている最新FAQの一覧です。
回答者: 仙台禅会 掲載日時: 22-May-2012 03:14 (452 回閲覧)
居士とは非出家者、つまり在家の者のことをいいます。

在家ですから、実社会にあってはそれぞれの職業を持っています。もちろん学生や、主婦の方も含まれます。出家者である専門の雲水修行者が、僧堂において雲水の立場から修行を行っているのに比べ、居士禅では、在家の人達が主体であるために、正式に僧籍を持つ者以上に社会に密着した姿で修行を行うことになります。

居士禅では、実社会の中にあってなおかつ純粋に自己確立を目指すことが求められ、それによって自分に安心を与えるとともに、修行によって悟り得た徳力を各自の領域、職域において自然に発露していくことで社会に貢献することが目標とされます。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (475 回閲覧)
かまいません。でもせっかくですから、少しでも坐ってみてその良さを味わってください。

また老師に参禅できる禅道場において参禅体験会も行っています。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (430 回閲覧)
もちろんです。年齢・性別・国籍・宗教などの参加制限は一切ありません。

海外の方もいらっしゃいますし、キリスト教の方が、坐禅をすることで、信仰を深めている例もあるほどです。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (445 回閲覧)
参加者の年齢・職業は本当にバラバラです。
年齢も20代から70代まで、あらゆる世代です。
小学生も坐禅を体験しにきます。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (413 回閲覧)
人間禅の道場は全国にありますので、こちらのリンク集をご参照ください。

お近くの道場


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (445 回閲覧)
静坐会への参加だけであれば、所定の費用だけです(案内をご覧ください)。

入会金や月謝もありませんし、申し込みや予約も不要です。

(初めての方は、作法や、坐禅の仕方をお教えいたしますので、30分くらい前に来て、「初めてです」とお申し出ください。

坐禅の時間に間に合わない場合は、事前に何時頃こられるか、申し込みの連絡をこのHPからして頂ければ幸いです。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (444 回閲覧)
特に予約や申し込みは不要です。

時間までに来て頂ければ、そのままお座りになれます。

一般の方専門の坐禅ですから、仕事で遅くなっても坐禅の途中で入堂することができます。
途中入場の作法は、作法のページをご覧ください。

初めての方は、作法や、坐禅の仕方をお教えいたしますので、30分くらい前に来て「初めてです」と係りの者にお伝えください。

申し込みは、このホームページのお問い合わせから申し込んで頂ければ、後ほど担当者より返信申し上げます。申し込みされた場合は、キャンセルもできれば連絡して頂ければありがたいと思います。

「礼なき者 坐る価値なし」とも言いますが、社会人の常識をわきまえて頂ければ良いかと存じます。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (1594 回閲覧)
よく来られる方や、本格的に座禅修行している方は、着物と袴や作務衣を着ていますが、だらしの無い格好でなければジーンズやジャージなど普段着でかまいません。

ですが生地の硬いジーンズの場合は、血行が悪くなって足が痛くなる傾向があります。
締め付けるところが無いゆったりしたものが理想的です。

女性はロングスカート、またはスラックスなどが適当です。足を組むので短いスカートは避けてください。裸足になりたい方はストッキングはやめたほうがいいでしょう。


更衣室も男女それぞれありますので、ご活用ください。

(つけたし)

日本人でありながら、着物を着る機会はそうそうなかったので、坐禅会で初めて着物と袴を着た時はうれしかったです(笑)。

男性は着物を着るとなぜか凛々しく見え、女性も女らしく見えるのは不思議ですね(笑)


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (412 回閲覧)
1.禅堂は、坐禅の修行を行う大切な場です。
  「黙堂」とも言われます。

  必要なこと以外の「私語」は固く禁じられています。
  勝手な行動も禁じられています。

2.携帯電話、腕時計のアラームなどはあらかじめ切っておいてください。

3.電気、水、ガスなどの節約に努めてください。

4.タバコは所定の場所で吸って下さい。

5.貴重品は、各自で管理してください。

6.禅堂での作法は、周りの人にならってください。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (726 回閲覧)
警策(臨済宗ではけいさく、曹洞宗ではきょうさくと読む)は、修行者を励ます意味で叩くものです。決して罰だとか恥ずかしいものだと思わないでください。

助警(じょけい 警策を持った人)が廻ってきた時に希望があれば、叩いてもらいます。
無理やり叩かれることはありません。

眠くなってどうしようもない時は、叩いてもらうと目が覚めますし、気合を入れたい時も叩いてもらうといいですよ。叩かれた瞬間、痛いだけですぐに痛みは消えます。


警策の作法はお寺によって細かく違いますが、人間禅の場合は以下のようになります。

希望される場合は、助警が廻ってきて、目の前にきたところで合掌してください。

助警が合掌するのに合わせて、こちらも合掌します。
(よろしくお願いしますの意味がある)

足を組んで座ったままで、上体を前に下ろして、背中を見せ、叩かれやすい姿勢を取ります。
頭は当たると危ないので、低くしてください。

助警が背中を左右3回づつ叩きます。
狙いが狂わないよう、叩かれても動かないでください。

終わったら上体を起こして合掌し、手を坐禅の形に戻します。
(お礼の意味がある)


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (448 回閲覧)
本来、坐禅は身体が疲れている時は避けたほうがいいのですが、
眠くなってきたら、助警(じょけい 警策を持っている人)が、廻ってきたら打ってもらうと眠気が覚めます。
どうしようもなく眠くてたまらない時は、いったん退場して休んでください。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (407 回閲覧)
最初、坐禅で足が痛くなるのは仕方ありませんが、2,3ヶ月も続けているとだんだん足が慣れてきます。

それまで、イス禅も併用しながら、禅を続けていくと良いのではないでしょうか?

がんばってください。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (458 回閲覧)
合掌して足を組み替えてみてください。

それでもどうしても痛い時は、静かに立ち上がってください。
その際、手は、叉手当胸(さしゅとうきょう 胸の前で掌を重ねる)にしてください。

痛くなくなったら、また坐って合掌し坐禅を続けます。

足が組めない方、痛めている方は、正座でも、イス禅をしてもかまいません。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (432 回閲覧)
足を痛めている方や、足が固くて坐禅の形に組めない方は、イスが用意してあるので、それをお使いください。

イス禅のやり方も指導させて頂きます。

また坐禅の足が組めない方でも、正座(日本座)ならできる方はそれでもかまいません。
その場合は、両足の間に座布団を二つ折にしてはさめば、体重をそこにかかり足がしびれなくていいです。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (483 回閲覧)
数息観は息を数えるだけなので、簡単そうに見えますが、実際にやってみると雑念にとらわれて、数を忘れてしまったりします。

最初は、1ができたら、2を目標、2ができたら、3を目標というように段階的に修行していくといいでしょう。

100まで自在に数えられるようになったら、100、99、98と逆に数えたり、素数だけを数える(これは無理があるかも?)方法もあります。


以下、耕雲庵立田英山(こううんあん たつたえいざん)著 「数息観のすすめ」より抜粋しますので参考にしてください。

a . 勘定を間違えないこと
b . 雑念を交えないこと
c . 以上二条件に反したら1 に戻すことの三つです。

前期の間は、そう厳格にこの三条件を振り回したら、自己嫌悪におちいって、数息観をするのが嫌になってしまいますから、或る程度のミスは黙殺することにします。黙殺といっても余りひどいのはいけませんが、7 9の次にうっかり5 0と数えてしまったのや、足が痛くなったから、こんど1 0 0 まで数えたら止めようと思う位は、まァ黙認しておこうというものです。

もっとも黙認にも階梯があることで、最初の1 0 0 までは余りやかましく言わず、次の1 0 0 はやや条件を厳しくし、さらに次の1 0 0 を数えている時はなるべく条件を厳守して、数え直しをやるようにするとよいです。それでもある程度の黙認をやらないと、なかなか1 0 0を3回、つまり3 0 0まで数えることはできないものです。

ですから線香が一本燃え終わったら、数にかかわらず、その日はそれで止めることにでもしないと疲れ過ぎます。最初のうちは余り無理せん方が長つづきします。どうせ完全に数息観ができるなんて、半年や一年の修練では望めないことなのですから、あまり気をおとさずに、細くとも長くつづけることが肝心です。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (590 回閲覧)
正式には40分~45分が1回の基本の時間ですが、場合により、30分等にすることがあります。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (435 回閲覧)
合掌して静かに立ち上がります。

中央の通るところに出て、道場の前 仏壇の掛け軸に合掌します。

その後、道場の後ろにいる聖持(しょうじ)のところへ行き、座って合掌します。
(これは退場の許可を得る意味がある)

聖持が合掌して許可をくれるので、そのまま退場します。

休憩後、再度入場する時は、逆の動作をしてください。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (412 回閲覧)
公案(問題)といわれる禅問答は、本格的に入門した修行者が摂心会(せっしんえ 道場に泊り込みで坐禅する修行)などで、老師(禅の指導者)に参禅(公案への自己の考えを呈する)して行われるもので、一般の坐禅会では行いません。

もし希望される方は、参禅会に出ていただくと、参禅体験を受けることができます。
もちろん参禅体験したとしても、入門を強要するようなことはありませんので、お気軽にご体験ください。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (580 回閲覧)
摂心会(せっしんえ 道場に合宿して行う坐禅の修行)では坐禅の他に、作務(さむ)と言いまして草抜きや掃除などを行うことを通じて定力を養う修行や、読経なども行います。

また各静坐会終了後には、お茶を飲みながらの座談があったり、禅語のミニ講義があったりします。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (410 回閲覧)
禅は、長い東洋文化の伝統の中で磨き上げられてきた「人間形成の道」です。

 禅は、特定の信仰(何かを拝む等)・教義や所依の経典をもたず(※)、また、科学の原理に違背するようなもの(呪術的なもの、霊魂など)に心の支えを求めません。

 禅は、なぜ生きているのかより、むしろ「どのように生きるか」に注目し、行を重んじます。それは何かを学ぶことからは得られず、個人が自分に向かってその心の本体を明らめ、自分の心を自分の手に取り戻すことにより叶うことであるとされています。

それによって一人一人がかけがえのない自らの尊い命をかみしめ、ひいては正しく、楽しく、仲のよい世界の建設に向かって歩みを進めてゆく道につながります。

 さらに禅には、仏々祖々が苦心して伝えて来た珠玉の法財が秘められており、独立独歩の見性悟道の道はどこまでも味わい深い道です。

※)坐禅和讃(ざぜんわさん)や、 般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱えることはあります。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (683 回閲覧)
居士とは非出家者、つまり在家の者のことをいいます。
在家ですから、実社会にあってはそれぞれの職業を持っています。

もちろん学生や、主婦の方も含まれます。出家者である専門の雲水修行者が、僧堂において雲水の立場から修行を行っているのに比べ、居士禅では、在家の人達が主体であるために、正式に僧籍を持つ者以上に社会に密着した姿で修行を行うことになります。

居士禅では、実社会の中にあってなおかつ純粋に自己確立を目指すことが求められ、それによって自分に安心を与えるとともに、修行によって悟り得た徳力を各自の領域、職域において自然に発露していくことで社会に貢献することが目標とされます。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (420 回閲覧)
確かに初めての方の中には、禁欲的で、俗世間から離れたイメージの方もおられるかもしれません。

しかし、人間禅道場は居士禅の専門道場としての長い伝統の中で、皆が学生生活・社会人生活を送りながら坐ってきた道場です。

摂心会ともなれば厳しい雰囲気の中で行われますが、静坐会なら初心者にも敷居が低いと思います。
とりあえずは静坐会に参加されてはいかがでしょうか?


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (427 回閲覧)
人間は考える生き物なので、「何故生きているんだろう?」とか、「深い部分で人と関わって行くにはどうすべきか」とか、「善悪とは?因果とは?何だろう」とか、「死んだらどうなるのか?」とか、色々と疑いが出てきます。

また、現在を生きているはずなのに、過去を想い、未来を想い、これらに囚われて身動きが取れなくなってしまうこともあります。

禅は、自分の中にこそ注目し、これらを自らの努力で解決し、主体的に「いま・ここ」を生きていくための修行です。これは単なる観念や信仰ではなく、自ら体得するものなのです。

主体的に「いま・ここ」を生きることができないと、他からの影響により色々なことで心が動き、惑わされてしまいます。

かの執権 北条時宗は、無学祖元国師の指導を受け、禅を修めながら国難を舵取りしたと伝えられています。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (476 回閲覧)
これはテレビや雑誌などでよく使われ、誤解をされがちですが、坐禅とは無念無想などという「ボンヤリ」を目指すものではありません。

前述のように「数息観(すうそくかん)」を行い、雑念を克服し、正念を取り戻そうというものです。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (454 回閲覧)
正しい坐禅の体勢を作った後、数息観を行います。

数息観とは静かに自分の呼吸を勘定する修養の方法で、雑念を交えずにひたすら数息三昧(すうそくざんまい)になる事を目指します。

心に次から次へと沸き起こる雑念には誰もが手を焼きますが、ここで養い得た集中力・素直な心を以って日常生活を自分らしく、正しく、楽しく送っていくことを目指します。

詳しいやり方は道場に来て、「初めてです」と申し出て頂ければ指導させて頂きます。
また、このホームページの「坐禅の仕方」のページもご参照ください。

さらに修行を進める場合は、老師に参禅をすることもできます。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (445 回閲覧)
この名前は道号と言って、仏道を修行する上での名前のことです。

人間禅では、入門したものが最初の公案を透った(とおった 合格の意味)時に、老師によって道号を授与する慣わしとなっています。

これを初関(しょかん)を透過(とうか)したと言い、見性したと言います。 


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (431 回閲覧)
いい質問です(笑)。

人間禅は宗教法人法にもとづき、登録されているので法律的に宗教団体です。

しかし、やっていることは坐禅や茶道、剣道等、日本古来の道の修行が中心なので、一般常識的に言うところの宗教とはかなり違っています。

人間禅の禅は仏教には違いないのですが、神仏におすがりしたり、信仰したり、拝めばご利益があるような教えはありません。「立教の主旨」には、「我が教団は神秘を語らず迷信を説かず」とあるぐらいです(信仰を迷信と決めつけているわけではありませんので誤解なきよう)。

禅の法系は臨済宗 円覚寺派から引き継いでおりますが、会員制の道場であって、臨済宗の傘下にあるお寺ではありませんし、お坊さんがいるわけでも、お墓があるわけでもありません。

究極的には禅は宗教ではないと言われる方もいらっしゃいますが、こう言うと禅宗とは何か? そもそも宗教とは何か? 仏教は宗教なのか?そうではないのか? という大きな問題になってくるので、そこまで行くと簡単には答えられないものがあります。

言えることは禅を通して、仏教を学び、修行するのですが、その目的は人間形成の正しい道を歩むことです。
他力本願の宗教とはそこが大きく違うところです。

(おまけ)ここに入ると、お葬式とか人間禅でしないといけないのですか?という質問がありました。
お寺ではないのでお葬式はやっていません(会員が亡くなられた後の法要や、仏式の結婚式はあります)。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (446 回閲覧)
まず出家した修行僧が修行するお寺との大きな違いは、人間禅が在家専門の禅道場であるということです。
一般の社会人や主婦、定年退職された方、学生さん等、普通の人(笑)が、本格的な禅の参禅の修業をしているのです。

出家した修行僧はプロのお坊さんとなり、お寺の住職になったりしますが、人間禅にはお寺はないので最後まで、その職業のまま一般の方です(笑)。

またお寺でも一般の人を集めて坐禅会をしているところは多いのですが、坐禅をやって法話を聞いて、お茶を飲んでそれで終わりとなります。一般の人が参禅修行(独参のこと)までできるところはほとんどありません(一部、一般の人でも参禅できるお寺があります)。

坐禅するだけでも身体が健康になったり、ストレスが解消したりといった効果があるので、そこまでのレベルで良い方はお寺の坐禅会でもかまいませんし、人間禅でも毎週やっている坐禅会(静坐会)に出てこられるだけの方は多いのです。

しかし、道を求めて、より本格的な禅の修業を志した時、人間禅にはその道が用意されています。

お寺の摂心会(せっしんえ)は一週間泊り込みでよほどのことがない限り出入り禁止になりますが(これも例外のお寺はあると思います)、人間禅の摂心会は仕事に行くことが認められている(托鉢しに行くと考える)等、一般の人に修行を続けられるシステムを持っていることが大きな違いだと言えるでしょう。

とは言え道場に皆とつめて泊り込む方が充実した摂心会になることは言うまでもありません。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (444 回閲覧)
はい、一般の方も参加することができます。

もし老師に参禅する意思があれば、参禅願いを提出して参禅することもできます。

摂心会(せっしんえ)は人間禅の会員が、道場に泊り込んで禅の修業を行いますが、一般の方にも、どんな修行をしているのかを体験して頂くいい機会です。

仕事を持っている方は、朝は道場で起きて、参禅をし、行ってきまーすと仕事に行き、夜、ただいまーと道場に帰ってきて参禅をするという感じです。

一般の方の中にも泊り込んで修行される方もいらっしゃいます。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (744 回閲覧)
曹洞宗では参禅と言うと、坐禅しに行くことを意味しますが、臨済宗においては参禅とは老師と1対1で禅問答を行うこと修行のことを指します。また独参ということもあります。

人間禅は臨済宗系なので、参禅修行は老師と1対1で禅問答を行います。

摂心会(せっしんえ)や、禅フロンティアで参禅が行われますが、鐘をカーン、カーンと鳴らして修行者が廊下をダダッと走っていくのは老師に参禅をしているのです。

会員になっていない一般の方も「参禅願い」を提出して参禅を願い出ることができます。

参禅願いを提出した全員が老師に呼ばれて面談を行います。
その際、人間禅の歴史や禅の修業はどういうものかが説明され、最初の公案(これを初関(しょかん)と言う)が授けられます。

ここまでは参禅願いを出した全員ですが、ここから先は老師と1対1で指導を受けることになります。
参禅の作法を教えてもらってからは、一人で老師の待つ室内へ走っていきます。

ここで公案の見解(けんげ 答えのようなもの)を提して、老師に指導をあおぐわけですが、その際のやりとりや受けた指導は一切、秘密にすることになっております。

後に続く修行者の妨げになると考えられているからで、これ以上は書くことができません。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (491 回閲覧)
公案とは公文書の意であるが、禅ではいわゆる禅問答とも呼ばれる修行に使われる問題のようなものである。人間として誰にも共通な人生の根本問題。また、その問題に対する仏祖の真正の見解。絶対の真理そのものの境涯に到達する為に使うものです。

古来より1700以上あると言われていますがが、人間禅では、肝要な公案200則が集められ順序立てられて公開されています。

老師に参禅願いを提出して、参禅修行が始まると、最初の公案(これを初関(しょかん)と言う)を授かります。

ここで公案の見解(けんげ 答えのようなもの)を提して、老師に指導をあおぐわけですが、その際のやりとりや受けた指導は一切秘密にすることに注意してください。

後に続く修行者の妨げになると考えられているからで、これ以上は書くことができません。

初関(しょかん)を透過(とうか)すると、見性した印として、老師から道号を授かる慣わしです。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (447 回閲覧)
坐禅会(静坐会)や摂心会(せっしんえ 道場に泊り込んで坐禅する修行)などに積極的に参加して、本格的に修行を継続する意思があれば正式に老師に入門することを勧めます。

しかし、坐禅の修行は本来一生続けるものですので、気軽な気持ちで決めるべきものではありません。

当会は、それも踏まえて、他の宗教のように強引に入門を勧誘するようなことは決してありません。

毎週の坐禅会だけに出られている方も多いです。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (441 回閲覧)
人間禅はお寺ではありませんので、経済的に支えてくれる檀家も、販売するお墓もありません。
各道場は、会員が毎月納める会費だけで運営されています。

寄付や喜捨等もお受けはしますが、決して強要することはありません。
寄付する額が多ければ地位が上がるような、新興宗教のような仕組みもありません。

会費の額は道場が必要とする運営経費と会員数、職業を持っているかどうかによって違ってくるので、具体的には各道場にお問い合わせください。


回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (529 回閲覧)
一般の方でも会員にならないまま、摂心会に参加し、公案を授かり参禅している方もいらっしゃいます。

一見、やっていることは同じで会員と一般の違いがわかりにくいかと思います。

しかし、そこには大きな違いがあり、正式に老師に入門して会員になるということは、一生の決心、坐禅修行を志すという求道の精神、また、この会を経済的に支えて、護法の一員となる意義の大きさがあります。

何度も申し上げている通り、この会は会員の会費のみで運営されており、この仏祖より護持してきた法(仏法、悟り)を後世に伝える為、後に続くものを育てるという責任をになう者となります。

自分だけが悟ればいいというようなことでは本物の禅者とは言えず、自利とともに利他の修行も同時に行っていくことが求められます。

会員になると、今までのお客様という一般の人から、この法を守り伝えるという伝法の一員となり会を支え、初心者を導き、坐禅会を継続運営するスタッフ側に替わるのです。

これこそ、自利利他の修行と言えましょう。